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美濃焼の歴史・志野

■美濃焼の歴史

今や全国の陶器の中でも知らない人がいないくらい名の知れた美濃焼。

その歴史はとても古く、平安時代には灰釉陶器が焼かれ、一般民衆のための無釉の山茶碗なども焼かれていたようです。

室町時代には本格的な釉薬を施した陶器が焼かれ、最初は鉄釉や灰釉などの初歩的な施釉陶器だけでしたが、次第に天目釉や黄瀬戸の茶碗、片口などの食器類が焼かれるようになりました。

室町時代の末期には、地元の土を使っての手ろくろ成形や、木ベラでの装飾技法も発達し、やわらかな土味を生かした美濃焼の特徴があらわれるようになりました。

桃山時代に入ると、黄瀬戸や瀬戸黒、志野といった焼き物が次々と生まれ、茶陶文化が一気に花を開かせました。

この茶陶文化が発展したひとつの要因として、千利休の侘び茶の世界が確立され、茶会席が流行したことが挙げられます。このブームに乗って、美濃の茶陶が古田織部などの茶人に紹介され、一躍有名になったと言われます。

昔は茶陶の歴史に大きな影響を与えた志野や織部を生んだ美濃焼ですが、時代の流れとともに茶陶から日常雑貨に移行されてきました。

そして後に陶器に代わって磁器の製品が美濃焼の主力商品となっていったのです。
現在では和食器中心の陶磁器製品だけでなく、マグカップやティーポットなどの洋食器や、工業用タイルなどの生産も盛んに行なわれています。

美濃焼が焼かれている岐阜県多治見市周辺は、現在、国内の和洋食器の半分以上が生産される一大窯業地帯となっています。


■志野について

数ある全国の陶器の文化に多大な影響を与えたと言われる美濃焼ですが、実は、昭和のはじめに野焼き陶片が発見されるまでは瀬戸焼の影に隠れていた焼き物でした。

陶芸家であり人間国宝でもある荒川豊蔵氏が、昭和の初め頃に大萱(おおがや)の牟田洞窯(むたぼらがま)で絵志野の陶片を発見したことが、現在の美濃焼を確固たる存在にしたと言われています。

それまでは志野をはじめとする茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたとされていました。
現在では志野や織部が美濃焼を代表する焼き物であるというのは常識的に知られていることですが、この発見以前の名残として瀬戸黒や黄瀬戸の名称が残っているのです。

さて、この茶陶の歴史をくつがえす出来事となった主役の志野ですが、志野とはどのような焼き物でしょうか。

志野は蛙目粘土の一種で粘りが弱く、焼きあがると軽くなるもぐさ土で焼かれており、全国の陶器の中で初めて絵が描けたものです。

志野の特徴のひとつであるゆず肌は白い長石釉によってでき、器表面の細かい穴が温かい雰囲気をかもし出します。また白い肌のところどころに素地から自然ににじみ出ている緋色が、器全体をあたたかくやわらかな雰囲気で包み込むようです。

多くの茶人に愛されてきた志野の中でも、絵志野と鼠志野は代表的な一品です。
絵志野とは志野独特の白いゆず肌の器の表面に、鉄絵と呼ばれる文様を鉄釉の一種、鬼板絵の具で描いたものです。

鼠志野とは、おなじ志野でも絵志野とは趣が異なるもので、器の表面全体に鬼板絵の具を溶かした泥漿(でいしょう)で鉄化粧をほどこし、ヘラなどで模様を掻き起こしたものです。

全国の陶器を代表する美濃焼を語る上で、志野は欠かせない存在でしょう。

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