■唐津焼
全国の陶器の中には海外からの影響を受けて発展していったものもありますが、佐賀県の唐津では地理的に朝鮮との交流が深かったことから、朝鮮写しの器が焼かれ、それによって唐津焼の基礎ができたと言われます。
また、愛知の瀬戸焼が「せともの」と呼ばれているように、西日本では陶磁器の代名詞として「からつもの」と言われるほど唐津焼は大変に普及していました。
さて、朝鮮の影響を受けて陶磁器の代名詞となるほどにまで普及した唐津焼とはどんな焼き物なのでしょうか。
唐津焼には「砂目」という土がよく使われますが、これは砂を含んでいるというわけではなく、生地が粗いことを意味します。
そのため器肌はざらついた感じになってしまうので、唐津焼では釉薬を比較的多めに施します。
それで全体の質感が土らしいしぶみを備えたものになります。
また唐津焼の特徴として朝鮮の陶工によって使えられ開発された絵付けや釉薬使いがあります。以下にいくつかの表現技法を紹介します。
<絵唐津>
草、木、花、鳥、人物などの絵を酸化鉄質の釉で描いたもので、単純素朴なタッチのものが目立ちます。
焼き上げると描いた線は茶褐色になり、鈍色の器肌にできた影のようで味わい深いものです。
<斑唐津>
白く焼き上げられた器肌に青や黒の斑がポツポツとあらわれたもので、わら灰釉などが熱で透明感を失い、白くなるという作用を利用しています。
<朝鮮唐津>
わら灰釉の白と鉄釉の黒く焼ける作用をともに用いたもので、鉄釉を下地にして、上からわら灰釉を流します。
上から掛け流した白が無造作に流れ落ちる様子は、茶の世界では「景色(けしき)」と呼ばれ、器を観賞する際のひとつのポイントとなっています。
全国の陶器(茶陶)を観賞する機会がある時には、この「景色」も楽しんで見るとよいですね。
<三島唐津>
朝鮮の李朝の技法をそのままに伝えるものです。
器が半乾きのうちに木型や刷毛で紋様を描き、化粧土を塗ったあと、削り仕上げ、または拭き取り仕上げで紋様を浮かび出させたものです。
この他にも、二彩唐津、粉引唐津、黒唐津など、唐津焼は実に多彩です。
■有田焼・伊万里焼
数ある全国の陶器を語る上で、これは外せないでしょう、というのが佐賀県の有田焼です。
有田焼は誰もが聞いたことのある、また見たことのある焼き物ではないでしょうか。
瀬戸と並んで磁器生産のメッカとも言われる有田は、日本から海外へ「文化」を輸出した数少ない窯場です。
江戸時代、華やかな色絵を施してある有田焼が話題となり、盛んにヨーロッパに輸出されていました。
その頃のものは「古伊万里」と呼ばれ、現在の有田焼の一主流となっています。
古伊万里の様式を代表するのは「染錦(そめにしき)」と呼ばれる装飾法で、染付けの上に赤や緑、黄、青などの絵の具で色絵をつけ、さらに金彩、銀彩を加えたものです。
器の表面を絵柄が埋め尽くし、色使いは華麗で多彩、まさに豪華絢爛の焼き物です。
ヨーロッパの貴族文化の中にも歓迎されたというのも納得できます。
古伊万里の名工として酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)がいますが、柿右衛門は古伊万里様式よりさらに優雅な「柿右衛門様式」という装飾法をあみ出しました。
その器肌は「濁手(にごしで)」といって透明度を抑えた独特の乳白色をしています。
このやわらかい白を完成させたことによって、上にのせる色絵とのバランスがさらによくなりました。
絵のモチーフには、花、竹、紅葉、鳥、鹿などを用い、構図も日本画的なものが目立ちます。
絵の具は赤を基調とし、群青、青緑、赤さびの4色を基本としています。
柿右衛門様式はヨーロッパの窯でも模倣されるほど、一世を風靡していました。
ところで全国の陶器の中では有田焼という名称も伊万里焼という名称もどちらもよく浸透していますが、この2つが混同している人も中にはいるかと思います。
ときに、有田焼のことを伊万里焼と呼ぶこともあります。
しかし、現在、佐賀県伊万里市にも窯はありますが、もともと有田で生まれた焼き物なので、本質的には有田焼と呼ぶのが正しいように思います。
2つが混同してしまう原因のひとつとして、山里である有田に対して伊万里には港があったため、有田焼が伊万里の港を介して各地へ運ばれ伊万里焼と呼ばれるようになった、という話もあります。
特に海外では、細かい事情にはあまりこだわらず、単に「イマリ」と呼んで親しんでいたようです。
現在では有田地区で焼かれたものを有田焼、伊万里地区で焼かれたものを伊万里焼と呼ぶ分け方が一般的となっているようです。