みなさんは、日常使いの食器を選ぶ時、どんなことをポイントに選びますか?
■小久慈焼
素朴な土臭さを残している小久慈焼は、江戸時代の後半に岩手県久慈市で開窯したと言われています。当初は久慈焼と呼ばれていたのですが、良質な粘土がとれる小久慈に窯を移してから小久慈焼と呼ばれるようになったそうです。
小久慈焼は、そのしぶみと素朴さを持つ釉薬が認められて、八戸藩の御用窯を務めていました。
しかし時代は流れ、明治時代に八戸藩からの援助もとだえてしまうと、藩窯から民窯へとその形を変えて行ったのです。
小久慈焼の印象として言えることは、有田焼や久谷焼のような装飾品としての華やかさはありませんが、素朴で温かみのある焼き物であるということです。
地元の久慈周辺から出土する久慈粘土や、小久慈白土などの陶土を生かして作られた焼き物は、まるで東北女性の肌のように白っぽい土味を見せてくれます。
小久慈焼は伝統的なろくろ成形でひとつひとつ手作りで、鉄釉や飴釉などの茶色の釉薬と、もみ殻の灰を利用した糠白釉(こうはくゆう)と呼ばれる乳白色の釉薬が施されます。
どっしりとした厚手の器に趣のある釉薬がたっぷりとかけられたその姿は、朴訥とした東北人の気質をあらわしているようにも感じられます。
全国の陶器にはいろいろありますが、その印象も土地柄をあらわしているのですね。
また小久慈焼では主にほのぼのとした趣のある茶器や花器、酒器から、ぼってりとした量感のある片口やすり鉢といった日常雑貨が中心となっています。人々の生活に密着した焼き物と言えるかもしれません。
■平清水焼
全国の陶器の中でも東北地方の焼き物は素朴でどこかしら土臭い印象のものが多いのですが、平清水焼は東北には珍しく洗練された色合いと独特な肌触りが特徴となっています。
平清水焼は山形県山形市平清水の大地主が、笠間焼の陶工である小野藤次平を招いて地元の土を使って陶器を焼かせたのが始まりと言われています。
江戸時代の後半からは伊藤藤十郎や渡辺五兵衛らにより、それまで粗陶器が中心だったところに磁器を焼くようになってきました。
美しい磁器の生産に成功した平清水焼は、白地に青色の絵付けをした皿や茶器、酒器など食器類を盛んに作るようになり、一時は数ある全国の陶器の中でも「焼き物と言えば有田か平清水」と言われるほどの称賛を浴びていました。
しかし時代が明治から大正に移るころには陶器が中心となり、火鉢やかめ、徳利などが焼かれるようになりました。器の色も、透明感にあふれた白地から、鉄釉を主体にした茶色に変わっていきました。
さて平清水焼の特徴として挙げられるのは、何と言っても「梨青瓷(なしせいじ)」でしょう。
これは青緑色の器の表面に梨肌のような黄色の斑点が浮き上がっているもので、そのザラザラとした感触と、一般的な青磁とは異なった落ち着いた色合いが魅力となっています。
また梨青瓷と並んで平清水焼の特徴とされているのが「残雪」と呼ばれる釉薬です。
この残雪釉は平清水を代表する釉薬のひとつで、艶消しの白釉によるものです。
釉薬のかかり具合によって水墨画のようなきれいな濃淡があらわれることもあり、上品で端正な器の形をいっそうひきたててくれます。雪国である山形県にふさわしいネーミングですよね。
■益子焼
全国の陶器をたずねてその地を旅したことはありますか?
関東屈指の窯場である益子では、町の中に焼き物の販売店はもちろん資料館や公園も存在し、陶郷としての姿を見せて旅人を楽しませてくれています。
その益子の焼き物、益子焼と言えば、厚手でどっしりとした茶碗や皿が思い出されるのではないでしょうか。
益子焼の特徴は、民芸調と言われ鮮やかな色彩や細やかな図柄もなく、地味で飾り気のない素朴な色合いとなっています。
窯を開いた当初から、皿や壺、茶碗といったお茶の間で使われる日用雑貨を中心に焼かれてきました。毎日の生活に密着した焼き物なのです。
全国の陶器にはそれぞれの代表作のようなものがありますが、益子焼では側面にのびやかな筆運びで山水などが描かれた土瓶が代表となっています。
益子焼の一番の特徴とされる、厚手でどっしりとした手ざわりは、栃木県内から出土する新福寺粘土などの気泡性を持つ荒い陶土に木節粘土を加えた土によるものです。
釉薬には木や石を原料にした自然釉が用いられ、特に透明な色合いの並白釉(なみじろゆう)や乳白色の糠白釉がかけられることが多いです。他には地元特産の芦沼石を原料にした茶褐色の柿釉(かきゆう)や黒釉(こくゆう)などもあります。
装飾技法としては、釉薬をほどこした器の表面に刷毛を使って化粧土をかける刷毛目や、指で簡単な模様を描く指描などがあります。
また鉄や銅などを用いて土瓶や茶碗に山水や植物を描く、鉄絵や赤絵なども益子焼の特徴のひとつとなっています。
■笠間焼
全国の陶器の中でも名前の知れた益子焼や平清水焼ですが、これらの焼き物の陶祖が実は笠間焼の技術を学んでいたそうです。
つまり笠間焼は益子焼よりも古い歴史を誇っているのです。
江戸時代の中ごろに、信楽の陶工であった長右衛門(ちょうえもん)が茨城県のこの地を訪れ、久野半右衛門(くのはんえもん)と共同で窯を開いたのが笠間焼の始まりと言われます。
笠間焼の特徴は、と聞かれると「特徴が無いのが特徴」と答える人も多いと思いますが、笠間焼では民芸風の徳利から斬新な花器まで、個性豊かな作品が魅力となっています。
焼かれる器は主に安価で丈夫な水瓶やすり鉢、徳利など庶民の生活に密着したものが中心となっていますが、最近では斬新なデザインがほどこされたコーヒーカップや絵皿など、多種多様にわたって焼かれています。
最近の傾向としては、若い陶芸家の手によって、芸術的なオブジェや陶壁なども焼かれているようです。
笠間焼のどっしりとした手ざわりは、関東ローム層から出土する笠間粘土や花崗岩の風化によってできた鉄分を多く含む蛙目粘土(がいろめねんど)と呼ばれる陶土によるものです。
その陶土を丹念に練り、ろくろを回し手びねりという技法を使って、ぽっちゃりとした丸みを持たせ手にぬくもりを感じられる器が生み出されます。
笠間焼で主に使われる釉薬には緑釉、柿釉、飴釉、黒釉、糠白釉があり、これらの釉薬の持ち味を引き出すくすり掛けとして、流し掛けや浸し掛けなどがあります。
これらの技法を駆使して、伝統的な壺からクラフト調のカップ、織部風の皿まで、さまざまな個性にあふれた笠間焼が誕生するのです。全国の陶器の特徴を集約したのが笠間焼だ、とも言えるかもしれません。
月夜野焼
みなさんは月夜野焼(つきよのやき)という焼き物の名前を聞いたことがありますか?
とても美しい名前に魅かれて調べてみると、全国の陶器の中でも月夜野焼はまだまだ歴史が新しく、昭和50年からと言われています。
当時、群馬県利根郡月夜野町を散策していた陶芸家の福田祐太朗が偶然にも上越新幹線のトンネル工事現場から排出される土の中に焼き物に適した土を発見したのが始まりだそうです。
福田氏のふるさとである有田焼の技法を参考にして、その後の研究を重ねて月夜野焼を完成させました。これが群馬県最初の本格的な焼き物である月夜野焼です。
月夜野焼では、マグカップや飾り皿、一輪差しなどの日用雑貨から芸術性の高いオブジェまで幅広く焼かれています。独特の滑らかな肌ざわりは、新幹線のトンネル工事で排出された磁器質流紋岩(じきしつりゅうもんがん)などを混ぜた月夜野陶土によるものです。
また月夜野焼をいろどる情熱的な赤やしぶい緑色は、銅を基本にした釉薬・銅紅釉(どうこうゆう)によるものです。
釉薬の特徴として、燃え立つ炎のような真っ赤な辰砂釉(しんしゃゆう)、赤と緑の微妙なコントラストが孔雀の羽根のように美しい孔雀釉、光沢を消して緑青のしぶい色合いをかもし出す青銅釉などがあります。
数ある全国の陶器の中でも、新幹線のトンネル工事から生まれた焼き物というユニークなものは他にはないでしょう。現在、この地域では陶芸教室なども開かれ、隠れた観光スポットにもなっているようです。
■無名異焼
使うと健康になる器がある!?
全国の陶器にはいろいろな特徴を持った焼き物がありますが、実はその器を使ってお茶を飲むと病気が予防できると言われている焼き物があるのです。
新潟県の無名異焼(むみょういやき)がその焼き物です。
無名異焼に使われる陶土は粒子がとても細かく、高温で焼いたときの収縮率も高いので、その性質を利用して釉薬をかけずに焼く「焼き締め」が一般的になっています。
また、無名異焼には普通の陶器に見られるようなざらつきが少なく、艶やかな光沢が見られるのですが、それは石や鉄ベラなどを使って成形後と焼成後に2回の研磨作業を行なうことによります。
使えば使うほどに艶が増してくるのもこの焼き物の魅力と言えます。
全国の陶器の中では珍しく、叩くと澄んだ金属音を発するのも無名異焼の特徴のひとつです。
そしてこの器を使うと病気の予防になる、というその訳ですが、これは陶土に使われる鉄分を豊富に含んだ赤褐色の粘土にあります。
これは昔から止血などの薬用にもなっていた土で、この土を混ぜて作られた湯飲み茶碗や急須でお茶を淹れて飲めば、中風や胃腸の病気の予防になると言われています。
佐渡金山から生まれた土が薬から陶土へ・・・人々への恩恵は金だけではなかったようですね。
新潟県の相川町には、伊藤赤水や三浦常山など無名異焼の名工たちの作品が見られる展示館や、陶芸体験のできる窯もあります。光沢のある独特の赤褐色をした無名異焼を見に出かけてみてはいかがでしょう。
■美濃焼の歴史
今や全国の陶器の中でも知らない人がいないくらい名の知れた美濃焼。
その歴史はとても古く、平安時代には灰釉陶器が焼かれ、一般民衆のための無釉の山茶碗なども焼かれていたようです。
室町時代には本格的な釉薬を施した陶器が焼かれ、最初は鉄釉や灰釉などの初歩的な施釉陶器だけでしたが、次第に天目釉や黄瀬戸の茶碗、片口などの食器類が焼かれるようになりました。
室町時代の末期には、地元の土を使っての手ろくろ成形や、木ベラでの装飾技法も発達し、やわらかな土味を生かした美濃焼の特徴があらわれるようになりました。
桃山時代に入ると、黄瀬戸や瀬戸黒、志野といった焼き物が次々と生まれ、茶陶文化が一気に花を開かせました。
この茶陶文化が発展したひとつの要因として、千利休の侘び茶の世界が確立され、茶会席が流行したことが挙げられます。このブームに乗って、美濃の茶陶が古田織部などの茶人に紹介され、一躍有名になったと言われます。
昔は茶陶の歴史に大きな影響を与えた志野や織部を生んだ美濃焼ですが、時代の流れとともに茶陶から日常雑貨に移行されてきました。
そして後に陶器に代わって磁器の製品が美濃焼の主力商品となっていったのです。
現在では和食器中心の陶磁器製品だけでなく、マグカップやティーポットなどの洋食器や、工業用タイルなどの生産も盛んに行なわれています。
美濃焼が焼かれている岐阜県多治見市周辺は、現在、国内の和洋食器の半分以上が生産される一大窯業地帯となっています。
■志野について
数ある全国の陶器の文化に多大な影響を与えたと言われる美濃焼ですが、実は、昭和のはじめに野焼き陶片が発見されるまでは瀬戸焼の影に隠れていた焼き物でした。
陶芸家であり人間国宝でもある荒川豊蔵氏が、昭和の初め頃に大萱(おおがや)の牟田洞窯(むたぼらがま)で絵志野の陶片を発見したことが、現在の美濃焼を確固たる存在にしたと言われています。
それまでは志野をはじめとする茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたとされていました。
現在では志野や織部が美濃焼を代表する焼き物であるというのは常識的に知られていることですが、この発見以前の名残として瀬戸黒や黄瀬戸の名称が残っているのです。
さて、この茶陶の歴史をくつがえす出来事となった主役の志野ですが、志野とはどのような焼き物でしょうか。
志野は蛙目粘土の一種で粘りが弱く、焼きあがると軽くなるもぐさ土で焼かれており、全国の陶器の中で初めて絵が描けたものです。
志野の特徴のひとつであるゆず肌は白い長石釉によってでき、器表面の細かい穴が温かい雰囲気をかもし出します。また白い肌のところどころに素地から自然ににじみ出ている緋色が、器全体をあたたかくやわらかな雰囲気で包み込むようです。
多くの茶人に愛されてきた志野の中でも、絵志野と鼠志野は代表的な一品です。
絵志野とは志野独特の白いゆず肌の器の表面に、鉄絵と呼ばれる文様を鉄釉の一種、鬼板絵の具で描いたものです。
鼠志野とは、おなじ志野でも絵志野とは趣が異なるもので、器の表面全体に鬼板絵の具を溶かした泥漿(でいしょう)で鉄化粧をほどこし、ヘラなどで模様を掻き起こしたものです。
全国の陶器を代表する美濃焼を語る上で、志野は欠かせない存在でしょう。
■織部焼
全国の陶器には、聞き慣れた有田焼や瀬戸焼などがありますが、それらと並んで織部焼という名前もよく聞くのではないでしょうか。
織部焼とは美濃焼を代表する焼き物のひとつで、発展した土地の名前ではなく、茶人であった古田織部の好みによって作られた焼き物の総称です。
古田織部は茶人、千利休の高弟で、戦国武将でもありました。
織部焼は、全国の陶器の中では珍しく、幾何学模様などの趣向を凝らした文様や大胆奇抜な形が特徴です。
これは器を作る成型方法が従来どおりの手びねりやろくろ成型ではなく、型打ち成型という方法によるもので、これにより扇形や六角形など自由な形の器が作られます。
また茶碗や花生けの形にも、わざとへこみや歪みを加えているものもあります。
そして自由奔放な形の器を彩るのが、織部釉と呼ばれる青緑色をした美しい釉薬です。
この独特な美しい色合いは、灰釉に酸化銅を加えた銅緑釉によってかもしだされます。
また、木型や石膏などの型押しで素地の上に模様をつける印花(いんか)や、素地の上に鬼板絵の具などで文様を描く、鉄絵の装飾技法などもあります。
同じ織部の中でもこのような装飾技法の違いによって呼び名が分けられ、特に代表的なのが、総織部と青織部、鳴海織部です。
総織部は器の底以外の全面に織部釉を掛けて、彫りや印花などで文様を施したものです。
青織部は、器の一部に青緑色の織部釉と白い長石釉を掛けて、白釉の部分に鬼板絵の具で鉄絵を描いたものです。
鳴海織部とは、白土と赤土をつないで作った焼き物で、白土の部分に織部釉を掛け、赤土の部分に白泥を施しその上に鬼板絵の具で線描きをしたものです。
■黄瀬戸と瀬戸黒
焼き物の中に「黄瀬戸」と「瀬戸黒」がありますが、この名前を聞くと「瀬戸焼のひとつかな」と思う人も多いかと思います。しかし黄瀬戸も瀬戸黒も、瀬戸焼と混合されやすいのですが、実は美濃焼を代表するものなのです。
全国の陶器にはたくさんの種類とそれぞれの歴史がありますが、瀬戸焼は日本で一番有名な焼き物と言われ、茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたと考えられていた時代もありました。
美濃焼はその影に隠れて発展していった焼き物と言えます。
さて美濃焼の代表である黄瀬戸と瀬戸黒ですが、外見は黄色と黒で対照的な色合いになっています。果たしてこの二つに共通点はあるのだろうか、と疑問に思ってしまいますが、どちらも釉薬が変化して生まれた焼き物です。
黄瀬戸は名前のとおり淡い黄色で器全体が包まれており、伝統的な古瀬戸の流れをくむ焼き物です。
1200℃近い高温で焼くことにより鉄釉の一種が変化して淡い黄色が出ます。
中には、淡い黄色の器に、鉄釉などで茶色や緑色の斑文のアクセントをつけたものもあります。
黄瀬戸は器の焼き具合によって名称がいろいろ変化するのも特徴です。
よく焼けて光沢があるものは「菊皿手」「ぐい呑み手」と呼ばれ、反対に焼きが甘くじっとりとした肌合いのものは「油揚手」「あやめ手」と呼ばれています。
瀬戸黒は、漆黒の釉薬で器全体がすっぽりと包まれており、硬くどっしりとした質感を感じさせます。
これは焼成中の窯から引き出す技法によって生まれたもので、瀬戸黒の独特な漆黒は、器に施された鉄釉が急に冷やされて変化したものです。
このため、別名「引出黒」とも呼ばれています。
数ある全国の陶器の中でも、漆黒の瀬戸黒はその特徴的な外見で、すぐに判別がつくことでしょう。